命から学ぶ、他者に尽くすこと

今日も昨日と同様、春の暖かい陽気でお昼時に眠気を感じる今日です。

そういえば、高校への行きの電車から降り、Suica片手に改札を通り駅を出て花壇を見ると、先週まで咲いていたはずの水仙が枯れていました。

この花壇の目的は、春夏秋冬のそれぞれの季節を代表する花を植えて彩りをつけようというプロジェクトなのですが、季節を大切にしようという目的もありながら、命の大切さを促すために、その花が開花している大体の日数を数字で記しています。

今日、私が見た水仙の花は、特徴的な黄色の花弁が少し茶色く変色しているのを目にして、単純に「命は儚いなぁ...」と声を漏らしました。

友達が「どしたん?」と声を掛けるも、「ん、何でもないよ」と返答。

事の真相を教えずに個人で考えを深めることにしました。

よく、道徳で習うであろうに「命」についていうと、人間で例えると、心臓が止まると所謂死と呼ばれる状態に陥るといいます。

花でいうと、どうなのでしょうか...?

根から水分を吸収し、植物全体へと水を循環させて生きているということは常識です。

しかし、水分だけで植物は生きているわけではありません。

万物の神的象徴と言っても過言ではない太陽の光の存在が植物の生命活動の根本を担っているといってもいいでしょう。

植物の細胞には葉緑体があり、太陽光を浴びると葉緑体が生命活動に必要な栄養分を生成します。

多角的に見ると、植物だけでは生きてはいないということです。

つまり、他者の存在が、手助けが必要だということです。

人間に例えると、産まれた時から何の手助けも要らずに立派な大人に成長できるとは到底思い難いことです。

親の知恵と労力により、1日1日学びを乞いながら心身ともに成長していきます。

このサイクルは、生物全体に言えると思います。

細部まで見れば、自分だけで生きていける生物はいるかもしれませんが、いたとしても極僅かだと思います。

基本的には、「他者の存在がいて自分が大きく成長することができる。したがって、自分自身は独りでは大きく成長することができない」ということだと思います。

仕事で大変な失態をしてしまったり、入試に落ちてしまったなど、自分自信にとって重大なミスを犯した。精神的にストレスを感じ、「もう嫌だ」、「このままで大丈夫なのだろうか」など、自問自答の日々と、自虐の毎日が続くのだろうと思います。

そこで、救いの手を差し伸べるのは、身近にいる友達や家族なのではないでしょうか?

「大丈夫?」、「頑張ろうよ」などの他愛もない言葉が、とても胸に響く救いの言葉でしょう。

その言葉を糧に人は成長します。

前に進みます。強くなります。

よって、人は他者を敬わなければならないと思います。

簡単に言ってしまうと、人に迷惑をかけるなと両親から教えられた記憶を私は持っていますが、どうも私はそれを実行しようとは思いません。

なぜなら、私が存在するだけで誰かに迷惑は少なからずかかっているだろうと思っているからです。

そう思う大きな理由。それは、私が中学生の時、仲の良い友達からこんな言葉を言われました。

「お前さえいなければ、俺はもっと上にいけたのに...!」

この言葉を聞いて私はがっかりはしませんでした。

寧ろ、少し気持ちが燃えるような感じでした。

「言ったなコイツ、ぎゃふんと言わしたろ」

と心の中で強く念じ、文武両道に励みました。

私は、罵声を浴びた瞬間から、挑戦する心にスイッチを切り替えました。

「いつか、お前がいてくれてよかった」と言われるような人間になりたい!と強く思いました。



そして、中学の卒業式を迎えた3月初旬。

式が終わり、解放感に満ちた私は罵声を言われた友達にLINEで

「ちょっと教室来てくれないか?」

と一言。

少し早足で教室へと向かいました。

「どしたん?何かあったのか?」

「いや、違うんだ。一つ言いたいことがあってさ」

「おう」

「この前は、あんなこと言ってホンマごめん。侮辱する気は無かったんやけど、俺、負けず嫌いやからつい口調荒くなってしまって」

「ああ、気にすんな。別に怒っとらん」

密かに罵声を浴びるかと思っていた私はびっくりしました。

呼び出された理由は、謝罪の意味を込めた感謝の言葉だったからです。

「俺な、お前がいてくれたから部活にも勉強にも打ち込めた。ライバルがおって、負けたくないと本気で思えたからここまでやってこれたんや。ありがとな」

これを聞いた私は、「よっしゃ、やったわ」と思いました。

私も負けず嫌いなものですから、当然コイツには負けたくないなという気持ちが生まれ、文武両道に励みました。

その意志が、切磋琢磨を促しお互いの成長に繋がりました。

他者を敬えとはこういうことです。

競争だけに限らず、誰かと何かを競ったり、協力したりすることで本当のコミュニケーションが取れたり、信頼関係が生まれます。

中学生の頃にこのような経験ができて私は本当にこの友達に感謝しています。

この経験がなかったら、私は今頃何をしているのかを想像することができません。もしかしたら、高校には通っていなかったかもしれません。

もちろん、自分は頑張ったんだと胸を張ることも重要ですが、何よりも他者の存在に感謝しなくてはいけないと思います。

「仲間がいたから、ここまで来れた」とよく口にする人がいます。

綺麗事のように思う人もいるかもしれませんが、この言葉の意味は本当に素晴らしいです。

私は、いつか沢山の方々にこの言葉をかけてもらいたいなと思っています。

決して、目立ちたいわけではありません。誰かに尽くしたいという気持ちが山々なんです。

だから、私は前を向き続けます。


私の恩師は、中学卒業の日にこう言いました。

「前を向き続けろ。なぜなら、前を見ないと壁が見えないからだ。下を向き続ければ自分の足しか見えない。すなわち、壁に気付けない。前を向くものは、壁に気付き、必ずその壁を乗り越えようと努力する。しかし、下を向くものは、壁に気付いても壁を乗り越えようとは決して思わない」

と...。